6月 2014

Under His Wing

弟鳥の面倒を見る兄鳥

 

 

ベテラン選手の役目は色々あるが、一つは新人の面倒をみることだろう。故障者が続出しているレンジャーズは毎週のように新しい選手がマイナーから上がってくる。特に、初めてメジャーに上がってくる新人は右も左も分からない。マルティネス投手、オドール選手、サルディナス選手は、今年初めてメジャー昇格した。球団も気を遣って、マルティネス投手のロッカーをベテランクローザーのソリア投手の隣に置いた。オドール選手、サルディナス選手は二人とも内野手で、ベテランのアンドルス選手やベルトレ選手が食事に連れていったりする。

 

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(先日、通算2500安打を達成したベルトレ選手)

 

外野ではメジャー10年目の秋選手が、マルティン選手やチョイス選手の兄貴分になっている。先発投手部門では、やはりダルビッシュ投手。メジャーは3年目だが、抱負な経験を持っている彼にペレス投手やロス投手はアドバイスを求めてくる。後輩想いのダルビッシュ投手は、いつでも時間を割いて自分の体験談を語ったり、助言をしたりする。

 

このように後輩の面倒を見ることを、次のようなフレーズで表現する。

 

The veteran player took the rookies under his wing.

 

直訳すると「ベテラン選手はルーキー達を彼の羽の下においた」。親鳥が小鳥を守る姿から、この表現は生まれたのであろう。「庇護する」という意味にも使われる。メジャー歴17年超ベテランのベルトレ選手に、ドジャースに入団したルーキー時代には、誰が面倒をみてくれたか聞いてみた。懐かしい名前がでてきた。ラウール・モンデシー。モンデシー選手と言えば、野茂選手が新人賞を獲得した前年に同じ賞を獲得した選手。ロサンゼルス出身の私はリアルタイムでモンデシーを応援していた。年齢を感じるものだ。彼は今、故郷ドミニカのサンクリストバル市の市長をしている。

 

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(写真:1995年、このアーリントンで行われたオールスター戦に選ばれたドジャースの選手。左から野茂選手、モンデシー選手、ピアザ選手、キャロス選手)

 

ちなみに、私がこの世界に入った時、一番お世話になったのは齋藤隆選手(現東北楽天ゴールデンイーグルズ)だった。小学生でアメリカに来た私は、日本特有の縦社会の基となる中学校以上での先輩後輩関係を経験していない。特に、スポーツ界での先輩後輩の大切さは聞いていたが、体験したことはなかった。選手や他のスタッフへの接し方や言葉遣いなど、メジャーや日本の野球界のことをすべて、齋藤選手から教わった。いまだに私がこの世界にいられるのも、斎藤選手のお陰だ。

 

Sammy took me under his wing.

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Butterflies in the stomach?!

胃の中に蝶?!

 

 

レンジャーズは今季に入ってすでに22人が故障者リストに入っている。あまり誇れる記録ではないが、これはメジャーで一番多い。故障者がでるということは他の選手にチャンスが回ってくるということ。トリプルAにいるベテランが上がって来ることもあれば、メジャー未経験の新人も上がってくる。サルディナス選手、マルティネス選手、ロバートソン選手、オドール選手は今年初めてメジャーを経験した。試合後に記者に囲まれ、初メジャーの体験を聞かれる。その時によく選手が口にするのがこのフレーズだ。

 

I had butterflies in my stomach before the game.

 

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(マルティネス投手)

 

直訳すると「試合前はお腹の中に蝶々がいた」になる。これは「ドキドキして心配する」という意味で、何をしても落ち着かず緊張している状態を表す。小学生まで日本の田舎で育った私は「ちょうちょ」と言うと「童謡」「春」「森英恵」を連想する。お腹の中に蝶がいるという発想は出て来ない。文化が違えば表現も異なる。しかし、感覚的には分かる様な気がする。

 

体内にこういう感覚があるのは新人だけではないらしい。よくベテランの選手とも話をするが、試合前はいつもナーバスになるという。それと毎日葛藤しながら試合に挑むという。毎試合お腹の中で蝶がバタバタしながらプレーしているメジャー選手は、やはり非凡である。

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(左:サルディナス選手、右:オドール選手)

 

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(ロバートソン選手)

Gotta Have A Thick Skin!

タフになれ!

 

秋信守。ハングルで추신수。英語では「Shin Soo Choo (シン・スー・チュー)」と呼ばれている。オフに7年という大型契約を交わし、レンジャーズに今年入団した。出塁率4割以上を誇る不動のリードオフヒッター。背番号17、左翼手。

 

チームメートから「チューチュー」と呼ばれ親しまれているレンジャーズのトップバッター秋信守選手。メジャー暦10年、32歳のベテランは多くは語らないが、若手の選手達に慕われている。球団もマルティン選手やチョイス選手ら若手外野手に、秋選手をお手本にするよう指事を出している程。ひたむきな姿勢を崩さず、ストイックにトレーニングに取り組む彼は誰よりも早く球場入りする。

 

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韓国から高卒で渡米し、過酷なマイナー生活を5年も続け、メジャーの座を獲得した彼は人一倍苦労してきた。そんな彼のマイナー時代の話を聞きながら、以前ある人から聞いたフレーズを思い出した。

 

You’ve got to have a thick skin to play this game.

 

意訳すれば「タフでないと野球はできない」。この「タフ」というのは体力的な事でなく、精神面を指す。「thick skin」とは「厚い皮膚」。秋選手のように言葉も話せず、異国の地、それもマイナーという過酷な環境での体験は想像を絶する。言葉、文化、そして野球のハードルを克服するためには、細かいことを気にせず鎧のようなタフな皮膚を持ち、外部からの攻撃を跳ね返す位の力を持たねば、メジャーまで上がることは無理ということだろう。

 

この言葉は、以前60年代にドジャースでプレーしたモーリー・ウィルスという黒人選手と話した時に聞いた言葉だ。初の黒人プレーヤー、ジャッキー・ロビンソンがメジャーの人種の壁を破ったのは1947年。10年以上経った60年代だが、黒人は選挙権もまだ与えられていなかった。その当時の黒人プレーヤーはファンや相手チームだけでなく、チームメートからも差別を受けていた。そんな状況で野球に集中するのは至難の技だったであろう。

 

秋選手の苦労は60年代の黒人選手のそれに及ばないにしても、マイノリティー(少数派)が体験する苦労は古今東西過酷なものだ。彼を見ればわかるが、鎧を着ている様な体格をしている。今まで鍛え上げた精神力と筋力に覆われている。そんな秋選手だが、今は野球に恩返しをしたいと、地元テキサスや母国・韓国の子供達にボランティアで野球教室をしたいと積極的だ。機会があれば日本の子供達とも野球を通して触れ合う機会を作りたいと話している。

 

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ケンタッキーの農場で始まった親子野球物語

文: T.R. Sullivan / MLB.com

訳:二村健次

 

1974年、チャック・ロス氏はブリューワーズにドラフト2位で選ばれた。出身校はケンタッキー州のテート・クリーク高校。有望キャッチャーとしてスカウトの目を引いた。しかし、後にオリオールズにトレードされ、一度もメジャーのフィールドに立つことなく、引退を決意した。

「オリオールズの春キャンプでいい成績を残したのにも関わらず、父はマイナーに落とされました」。レンジャーズの中継ぎ投手ロビー・ロス選手は、そう父親のことを語った。

野球を諦めたロス氏はケンタッキーに戻り、農場の仕事をしながらリモデルの事業を興した。そして、果たせなかったメジャーの夢を託すかのように、息子達に野球を教えた。4人いる息子の中でも、左腕の長男ロビーに期待を持った。

「父は小さい頃から15歳になるまで、コーチをしてくれました」

ケンタッキー州レキシントン市郊外にある人口2万8千人のニコラスビルという小さな農業の町で、ロビーは育った。ケンタッキーといえば競馬でも有名だが、競走馬はこの地域で生まれ、育てられる。その他、ワインの産地としても知られている。一家はそこで約13ヘクタールもある農場を経営しており、その広い土地でロス親子は野球に明け暮れた。

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ロビーは昔を振り返りながら言う。「球を受けてほしいと思った時は、必ず父が『俺が受けてやる』と言ってくれました。でも、長くかがんだ体勢でいるのは無理だったので、辛くなるとバケツを持ってきて、その上に座って一日中受けてくれました」。

ロビーは父を尊敬して止まない。「父は神の教えの通り人生を歩んできました。自分の欲に走るのではなく、いつも神の教示に従って生きてきました。諦める姿勢は絶対に見せず、家族のために働いてきた。しかし、子供と過ごす時間は欠かすことは一度もありませんでした」。今でもオフになると、親子は共に長い時間を過ごす。ハンティングにも一緒に行く仲だ。

ロス親子は同姓同名だ。2人ともロバート・チャールズ・ロス。今年の春キャンプから、ロビーは父親を讃えるため「Jr」を苗字の後に付けた。同じ名前を持っていても、自分はジュニア、父親はシニアと区別を付けたかった。それは自分を育ててくれ、野球を教えてくれた父親を尊敬している象徴になる。敬虔なキリスト教徒のロス氏は、息子のロビーをキリスト教系の私立高校に通わせた。そこでロビーは今の奥さん、ブリトニー夫人に出会った。小さな高校の野球部だったが、彼の才能はスカウトの目を引いた。ケッタッキー大学からも奨学金の話があったが、2008年のドラフトでレンジャーズに2巡目に指名され、プロの道を選んだ。

プロに入ってからも、オフになるとロス氏は息子の投げる球を受けていたが、段々プロらしい球筋になってきたボールを受けるには限界がきた。「あれだけ力強く投げられたら、もう無理だよ」とロス氏は言う。バケツに座って球を受け続けたロス氏は、息子の成長ぶりに目を細めた。

When It Rains, It Really Pours

(泣きっ面に蜂)

 

この世界に入って7年目になるが、ここまで怪我人が続出するチームは見たことがない。30年以上いる球団関係者も同じことを言っている。春先予想していた先発投手のロテーションの5人のうち、4人が故障。残っているのはダルビッシュ投手だけだ。オフにトレードで移籍していたフィルダー一塁手も今季復帰絶望となる手術を受けた。過去8年間レギュラーの二塁手だったキンズラー選手の代わりとなるべく、マイナーから上がってきたプロファー選手も肩を故障。キャッチャーのソト選手もキャンプで膝を痛め、復帰はまだ先の話だ。まだまだリストは続く。

 

そして今週、フィルダー選手の代わりとして一塁のレギュラーになっていたモアランド選手が足首の手術をすることになった。悪い出来事が続く時、次の表現をよく使う。

 

When it rains, it really pours.

 

「(雨が)降る時は降る」と直訳されるが、日本語にも似た言い回しがある。「泣きっ面に蜂」。悪い事は容赦なく立て続きに起こり、それが止まる気配がない。それが今のレンジャーズの状態だ。

 

しかし、このチームにはいつも照り続けている太陽がある。ワシントン監督だ。主力が倒れようが、チームが連敗しようが、翌日は必ず勝つチャンスがあると信じている。彼の人懐っこい笑顔を見ていると、こちらもその気になってくる。

 

記者の一人が、この表現を使ったが、ワシントン監督はこう答えた。「雨は必ずいつか止むよ」。

 

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Not My First Rodeo

(初めてではない)

 

今年の春のキャンプで年頭の挨拶をしたワシントン監督は、そこで一人の選手を讃えた。2012年に肘の手術、2013年をリハビリに費やした後、2014年は招待選手としてメジャーキャンプに参加したコルビー・ルイス投手だ。もちろんメジャーに上がれる保証はなく、最後の野球人生をかけた勝負だった。ワシントン監督はルイス投手の諦めない姿勢をお手本にしてほしいと他の選手に告げた。

 

日本の野球ファンには、広島カープ時代のルイス投手の印象が強いかもしれない(特に場外ホームラン)。アメリカに戻ってきて2010年にレンジャーズと二年契約し、その二年ともレンジャーズはワールドシリーズ出場を果たしただけに彼の貢献度は計り知れない。しかし、2012年に肘を痛め手術することになった。

 

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そのルイス投手は4月中旬一年以上のブランクを克服し、メジャー復帰を果たした。今では欠かせない先発投手の一員である。 復帰初戦となった4月14日対マリナーズ戦の前日、彼は記者にその時の心境を聞かれ、こう答えた。

 

「It’s not my first rodeo」

 

直訳すれば「これは初めてのロデオではない」。ロデオとはカウボーイが荒れ狂う牛の背中に乗り、どれだけ乗り続けられるかを競う度胸試しのような競技だ。意訳すれば「大丈夫。(メジャーで投げるのは)初めてではないから」になるだろう。ロデオという激しい競技を人生経験そのものに例えるアメリカならではの言い回しだ。メジャーで良いシーズンもあれば、そうでなかったシーズンもある。野球を諦めかけたときもある。日本での経験もあれば、ワールドシリーズの経験もある。野球人生の山も谷もすべて経験しているルイス投手にしてみれば、今シーズンの復帰も長い野球人生の一コマにすぎない。そんな彼の口からこの言葉がでたのはごく自然なことだろう。

 

先日、若手のペレス投手が肘の手術を受ける事を発表した。最初は不安を隠せなかったが、肘の手術を克服し復帰に成功したルイス投手の助言を受け、安心したという。人生における最良の教師は「経験」なのかもしれない。